森住建の歴史 森浩幸の挑戦。
森住建を語るとき、その歴史は明治20年までさかのぼります。
森家は、現在の社長である森浩幸の曾祖父・五郎の代から、大工職人として家業を引き継いできました。4代目として大工仕事を始めた浩幸は、現場監督の指示を受けて仕事をする下請けばかりの仕事に、ぬぐえない疑問を感じます。
「大工が、お客さんがどんな人かを知らずに家を建てていいのだろうか?」
その疑問は次第に、お客さんはどんな趣味なのか、お子さんは男の子か女の子か、家族はどんな将来を夢見ているのか、お客さんの顔を見て、話を聞いて、その上で満足できる家を建ててあげたい、という思いへと変わっていきます。
そして、2002年2月22日。その思いを叶えるために「有限会社 森住建」を創業。
けれども設立してまもない知名度も実績もない工務店に、大切な新築の家を任せるお客様はいません。経営はどんどん悪化し、資金も1年で底をついてしまいます。
片っ端から銀行を訪ね、融資をお願いするも断られる毎日。そんな中、浩幸は最後の頼みの綱という思いで信用金庫へ行き、支店長に1時間も2時間も必死で想いを伝えました。
そして、浩幸の熱い思いに共感してくれた信用金庫から500万円の融資を受けることができました。
背水の陣で挑んだ見学会
「これでは何も変わらない!やるぞ!」
やっとの思いで手にした資金をもとに、浩幸は、さらなる賭けへと打って出ます。
それは、自分たちで家を売ること。つまり下請けからの脱却です。
この挑戦に「今まで通りがいい」とする、大工の師匠でもある父は猛反対。
しかし、浩幸の決意は揺るがず、ほぼすべての資金をつぎ込み新築戸建ての販売ノウハウを購入、そして、新築住宅を建てはじめての完成見学会を開催しました。
当時、街の小さな工務店が、完成見学会をすることは非常に珍しく、まさに命運のかかった大勝負でした。
そして、見学会当日。
祈る思いでお客様を待った浩幸でしたが、ふたを開ければ実に70組ものお客様が来場し、見学会は大成功。さらには3組の契約をいただくことができたのです。
この見学会を皮切りに、「森住建の家」は、徐々に口コミでも広がり、2005年には森住建初の引渡式が行われました。
2006年には新制会社法の適用を受け、「株式会社 森住建」へ。破竹の勢いは止まらず新築完工棟数もあっという間に35棟を突破します。
変えたのは、一人の社員の心意気
以降、森住建は毎年1.5倍の売り上げを更新し、岐阜県西濃エリア№1と言われるまでに成長します。
しかし、2007年頃から順調だったはずの業績に陰りが見え始めます。さらには深刻な内部状況も露呈していました。
大切なパートナーであるはずの協力業者に、高圧的に命令する社員たち。
社内では、部門間で責任を押し付け合い、協力し合うことを嫌い、自分の都合しか考えない風潮が蔓延していたのです。
気がつけば、会社の雰囲気は殺伐とし、社員と業者の間にも、大きな溝が生じていました。もはや企業として機能不全に陥る寸前です。
当時の職場環境を象徴するように、その3年間の入退職者数は30人を超えていました。
2010年、そこに大きな転機が訪れます。
それは、はじめての新卒採用がきっかけでした。
ある社員が「自分が、新卒社員を一人前に育てます!」と、手を挙げてくれたのです。
それこそが、現在の「ブラザー制度」の前身です。
「ブラザー制度」の導入で変わった社内
若手の先輩社員が兄(ブラザー)や姉(シスター)として、新入社員をサポートする「ブラザー制度」。
初めて“人を育てる”という責任を持った社員たちは、仕事への意識や取り組み方だけでなく、周囲へのかかわり方までも、次々に変化していきました。
社内のコミュニケーションが活発になり、その結果、伸び悩んでいた売り上げも驚くほどに回復。新築完工棟数は、瞬く間に100棟を超えていったのです。
「一騎打ちでは負けない」という自信
その後、森住建は、リフォーム市場の拡大を見越して、2010年5月にリノベーション事業部を発足。
さらに同年に岐阜店、2012年に大垣店、2014年には、おうちLABO池田店をオープンさせます。
池田店では、ショールームをもっと地域の人たちのために活用したいという思いから料理教室なども定期的に開催。気軽に立ち寄れる、地域交流の場として、地元の方々に親しまれています。
その後、2015年12月に新築完工棟数300棟を達成。
2018年には、おうちLABO関店と水廻り専門リフォームLABO本巣店の2店舗をオープンし、順調にエリアを拡大していきます。
その背景には、浩幸が描く“ランチェスターの法則”に基づいた青写真がありました。
それは、「知名度では劣る大手が相手でも、一騎打ちとなれば負けない」という確信、そして、森住建の家への自信の表れでもあったのです。
「岐阜で一番の安心を」森住建のプライド
森住建が進めたのは、業務の拡張、エリアの拡大だけではありません。
2011年には、「いい仕事とは何か」の基準であり、社員の行動指針とするクレドを定めます。
クレドには、岐阜県で一番、お客様が安心できる家づくりをしたいという思い、そして、家を建てた後も幸せが続いてほしいと願うアフターフォローへの責任、何より、ひとりの人間として社会の模範であるべき「森住建の人」としての覚悟が込められています。
このクレドは、完成して10年が経とうとする今でも、社員は皆“クレドカード”を常に持ち歩き、毎朝、唱和することで、自分たちの「正しい判断軸」として、日々心に刻んでいます。
森住建には、無限の可能性がある
2016年、キッチンリフォーム森住建をオープン。
認知度の向上を目指して『モレラ岐阜』のHUNTとタッグを組み、商業施設での集客イベントなどを行いました。
また、2018年にオープンした関店の店長は、初の「選抜総選挙」にて抜擢。
「自分(社長)の仕事は、挑戦したい社員に、そのステージを創ること」を実行すべく、意欲のある社員には、活躍できるステージが与えられる社風へと改革の歩を進めます。
そして2019年、岐阜市へと本社機能を移転。
地域工務店として最大級のショールームや隣接するモデルハウスも兼ね備えた、一大住宅施設として「岐阜本店」をオープンさせました。
社長・森浩幸も、「移転は、間違いなく史上最大のチャレンジ」と話すように、森住建は、新たな歴史へと大きく舵を切ったのです。
しかし、「やっとここまできた」と、安堵する社員は、社長をはじめ一人もいません。それは、社員全員が「森住建は、こんなもんじゃない」という、さらなる可能性へのビジョンを描いているからです。
日々、積み重ねられていく社員の献身、努力、挑戦。
その土台には、様々な障壁を乗り越えてきた社長・森浩幸の願いがあります。
自分自身が味わった、「お客様のありがとうに、心が揺さぶられる瞬間。温かさで胸がいっぱいになる。
その感動を社員みんなに味わってもらいたい」という思い、社員への深い愛情が支えているのです。